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2002年1月11日

鷹木朗氏ロングインタビュー(1/4)

昨年末も京都の「galerie 16」にて毎年恒例となる個展を開催した鷹木朗(タカギアキラ)氏に、ここ数年続く自然を描いた作品と、それにいたる経緯を語ってもらうロングインタビュー。

SPREADER.INFO(以下SI):年末のギャラリー16での個展というと、既に“毎年恒例”といった感じがしますが、作品展を開催しはじめてもうどれぐらいになるのでしょうか?

鷹木朗氏(以下鷹木):初めての個展は1979年です。私は1957年生まれですから22才でした。つまり大学の4回生ということになります。それ以前には、学校展やグループ展を数度経験したぐらいです。 その後、断続的に個展は開いています。多分全部で17回位だと思います。

やはり、20代の後半から30代の前半は就職、結婚、子供など、生活が慌ただしく、財布も寂しく(これは今でもですが)、個展という発表形式はなかなか難しいものがありました。その間は定期的なグループ展(9年続きました)や二人展(3、4年続いたと思います)を発表の中心にしていました。

毎年11月頃ギャラリー16で個展を行う、という形は1990年が最初だと思います。33才の時ということになりますね。それ以降、1999年(この年は福井と兵庫の美術館に作品を発表する機会がありました)を除いて毎年開催しています。

SI:近年の作品は植物をモチーフとしたものが続いているように思うのですが、これは何年前ぐらいから続いているのでしょうか?

鷹木:最初に植物をモチーフにしたのは1995年のことです。この時は、それ以前に取り組んでいた、人体の一部をモチーフとするものと並行して制作しました。

むしろ、私にとっての重要な転換点は、1990年から始めた「モチーフを用いる、描く」ということでした。それ以前の作品は、絵画がそれ自身として存在する、それ以外の何物でもないという具体性を常に念頭に置いていました。つまり、絵画が何物かを指し示したり、再現するものとしてあるのではなく、例えば音楽のようにそれ自身の喜びとしてあること、さらに一歩進めて、抽象的な何かを表現するのでもなく、それそのものが自然物と同じような即自存在であるということです。

これは、いわゆる抽象絵画(だけではありませんが)のある時代の基本テーゼとも言えるものでした。また、西洋絵画の500年の歴史の必然的帰結という見方もできるかもしれません。私もそのことを土台として制作を始めました。でも、本当にそのことを信じていたわけではありません。そのことを突き詰めて行くと、絵画と言う形式そのものが行き詰まってしまうというか、他の形式にシフトして行くことになる。それはそれで良いのだけれど、なにか、絵画という形式に置いてきぼりにしてしまった大事なことがあるような気がする。今の私たちにとっての絵画の可能性があるような気がする、という思いがずっとありました。

私にとって絵画の制作は、最初から「絵画のもうひとつの力」を求める旅でした。その過程の中で、「モチーフが存在する」絵画といものが生まれて来たのです。モチーフの採用は、ある意味で私の制作にとって異物の導入でした。「何を描くか」が大事なのではなく、「描く私と緊張関係にある他者の存在」が必要だったのです。植物というモチーフはその試みの中で発見されたものです。

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